塩見縄手について

Shiomi-nawate

この武家屋敷の前に広がる通りは、塩見縄手と呼ばれ、松江開府の祖、堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から1611年にかけて、松江城築城の際に城地の亀田山と北側の赤山を掘削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた城下町の通りです。縄手とは、縄のようにひとすじにのびた道路のことをいい、この塩見縄手には、武士の家中屋敷がならんでいました。なかでもこの武家屋敷に一時住んでいた塩見小兵衛がのちに異例の栄進をしたため、それをたたえてこの通りを塩見縄手と呼ぶようになりました。

塩見縄手のイメージ写真
塩見縄手の堀川のイメージ写真

この塩見縄手地区は1973年に松江市伝統美観保存地区に指定され、さらに1987年には建設省「日本の道100選」に選ばれています。